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~発起人から、皆様へ~ さて、一体何から書けばいいのか。 語るべきことは、 その多くが、 加盟者の既知のこととなって幾許、 少々、戸惑いを感じつつ、 今、筆をとります。 人は、 個別に生まれ、 個別に死ぬことを決定づけられて、 この世界に投げ込まれ、 常にその個別に生まれ死ぬ孤独と、 身を重ね合わせながら、 命の灯が消えるその日まで、 長い長い旅を続ける生き物です。 困苦の中で、どこに向かおうとしているのか? 孤独と屈辱に耐えながら、どうして旅を続けるのか? その答えは、 先人たちの足跡である、 人類史の中に見出すことができます。 人の築いてきた種の歴史は、 暴と武のせめぎ合いの連続のなかで、 武が暴をしりぞける幾度かの奇跡によって、 勝ち取った革命がもたらした変革が、 世界を本来あるべき姿に近づけてきた、 長い長い戦いの物語です。 ルネッサンスから500年を経て、 この世界はかつてと大きく変わりました。 馬鹿げた殺し合いは、 終始休むことなく続けられ、 今日もこの星のあらゆる場所で、 多くの人間が暴の脅威にさらされながら、 歯を食いしばり、それでも明日に向かって生きています。 世界は未だ不完全なままです。 それでも、かつてと比べれば、 遥かに人は、暴から守られて生きることが許される時代にいます。 大衆にとってルネッサンスの前後では、まったく世界はその姿を変えています。 しかしそれでもなお、 多くの人が正当な理由なく傷つけられ、 可能性を奪われ、 困苦と無関心の中で、 1人で戦いを続けています。 いつもどこかで、 誰かがひとり、 自身の尊厳をかけて、 絶望的な暴との戦いに挑んでいます。 暴とはなにか? それは、人から良きものを奪い去るもののことです。 それは人から、人間への信頼を奪い去る竜巻であり、 望むことが許されて当然の幸せを打ち砕く拳であり、 愛する人の安らかな日々や、 その人がもつ多くの可能性を、永久に闇に葬る黒い獣です。 そして、人からあらゆるものを奪い去る竜巻や黒い獣たちは、 その殆どが人間でした。 竜巻や黒き獣たちは、 それらを別の誰かかから奪うことによって、 孤独から逃れようと、 繰り返し繰り返し、他人の可能性を奪ってきたのです。 彼らが恐れたのは、孤独が呼ぶ虚無でした。 人類史は、 孤独から逃れるために、 虚無を恐れるあまり、 「 奪う 」ことを選択した人々と、 「 奪われる 」境遇を打破するために抗う人々との、 終わりのない戦いの記憶です。 それは、我々の本当の敵が、 孤独という真実が人の心の中に生む、 「 虚無 」に他ならないことを示唆しています。 私達は、長い生涯の中で、 たびたび無力感と虚無感に支配された時間と向き合います。 そのなんと居心地のいいことか。 気が狂いそうになるほどの苦痛を感じながらも、 人は虚無に飲まれつつ、 これこそが世界の真実の姿であることを認識し、 絶望の中でその身を横たえる暗い情念に身を沈めます。 私達は、奇妙な生き物です。 一方で、身を引き裂かれるかのような苦痛を感じながらも、 もう1人の自分は、絶望の中にいる自分を冷静に見つめ、 嘲笑ってさえいる。 まるでそれが、当然であるかのような冷えた眼差しで。 人は、確かに、 孤独と身を重ね合わせながら生きていことを、 運命つけられてはいます。 そして虚無もまた真実であることは、誰にも否定できない事実です。 けれども、本当にそれだけなのか? 私達の、塵芥のような命は、本当に虚無の中にあってしかるべきものなかのか? 闇の中で、 それでも輝く人の意思は、 カケラも残されてはいないのか? 光はあります。 闇の中でこそ、輝く光が。 人が人の可能性を奪い続けてきたのが人類の歴史です。 しかしその「人の可能性を奪う行為」が、 人類史に大きなうねりと変革をもたらしてきた側面が、 私達に最後の希望をくれます。 人は、 孤独からくる不安と虚無から逃れるために、 力なきものから「 よきもの 」を奪い 「 よきもの 」を奪われた人間の絶望を 自身の慰みにする生き物です。 しかしながらその一方で、 「よきもの」を奪われた人間は、 絶望の淵にあって尚、 それでも立ち上がろうと繰り返し血を吐きながら、 この世界に変革のうねりを呼んできました。 孤独の生む不安と虚無がもたらす「 暴 」と戦う意思が、 私達に残された最後の希望です。 人には、 虚無の中からそれでも力強く立ち上がる意思が、 生まれながらに備わっています。 どれほど奪われようと、 どれほど尊厳を粉々に打ち砕かれようと、 それでも人は、砂を噛んで立ち上がる意思を、 心の奥に秘めて生まれてくるのです。 人は、何度だって立ち上がる意思を持っています。 例えそれが絶望的な戦いでも、 それに尚挑もうとする精神を、 すべからく人は、その魂に宿しています。 私達には、 孤独にも、 それが呼ぶ不安にも、 虚無にも、 絶望に対しても、 抗う術がある。 それに挑もうとする意思がある。 この意思がある限り、人は旅を続けることができます。 完全な世界を取り戻すための戦いを、続けることができるのです。 人は、自分の幸せがなにか、知っています。 たとえ味わったことがなくても、何が幸せか魂が記憶している。 なにが自分に幸せを感じさせてくれるのか、魂が覚えている。 人がどこから来て、 この世界ですこしの時を過ごした後、 どこに行くのかはだれにもわかりません。 けれども人は、確かに覚えている。 幸せがなんだったか。 そして、 この世界に投げ込まれた自分が、何をなすべきなのかを、 人類はちゃんと覚えています。 完全な世界を取り戻すための戦いを、人は続けてきました。 この星の誰一人として、悲しみの涙を流さなくてもいい世界をつくろうと、 暴に抗い、武を磨いてきたのです。 矛を止めるための盾を、連綿と育ててきたのが私達の歴史です。 大きな変革は、私達の世代ではきっと訪れることがないでしょう。 それでも、次の世代にバトンを渡すことはできます。 人が人らしく生きることができる世界に、 近づけることはできるはずです。 今日、ひとりで戦おうとする人間に、かけてあげられる言葉があるはずです。 「 ヨコの会 」は、 いつか訪れる大きな変革の時より、 ずっと先に生まれた世代が、 決して変わることのない世界に対し、 それでも尚抗うために開設されたページです。 私達の世代には、世界の夜明けに立ち会える機会はないでしょう。 けれども、それでも東に向かって歩くことはできます。 ちっぽけな一歩にすぎなくとも、 その一歩が人の実存です。 完成すべき課題を見出すことで、人は自己の生の使い道とベクトルを知り、 孤独と不安と虚無と絶望に、抗う力を益々強く育てるのです。 「 ヨコの会 」は、東へ向かって歩き続ける旅団です。 どうか、だれかがくじけそうになったとき、 力を貸してください。 東へ皆で向かえるように。 いつか世界の夜明けが来ることを願って。 かしこ < 前のページ次のページ >
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